キングダム飛信隊メンバー一覧|加入時期と役職・生死を整理
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この記事の結論
- 飛信隊の幹部は結成時の生え抜きと、他部隊からの移籍組で出来ている
- 移籍組の出身は郭備隊・麃公軍など、将を討たれて散った部隊が多い
- 那貴だけは飛信隊を離れ、桓騎のもとへ向かった先で死んでいる
飛信隊の幹部を並べると、この隊が二種類の人間でできていることが分かる。馬陽で王騎に名をもらった結成時からの生え抜きと、他部隊から移ってきた者だ。そして移籍組の出身部隊を並べると、もう一つ見えてくるものがある。郭備隊も麃公軍も、指揮官を討たれて散った部隊である。飛信隊は勝つたびに大きくなったのではなく、どこかの隊が壊れるたびに人を受け取って大きくなってきた。
その法則から唯一外れているのが那貴だ。彼は将を失って飛信隊に来たのではなく、将のもとへ帰るために飛信隊を出て死んだ。
この記事では、加入時期・役職・生死を確定している範囲で整理する。階級や兵力は昇進のたびに変わるので、必ず時点とセットで書いた。現在の状況は2026年9月時点の週刊連載分にもとづく(単行本は第80巻まで刊行)。
飛信隊はどう大きくなったか
| 段階 | 契機 | 信の立場 |
|---|---|---|
| 特殊百人隊 | 馬陽編。王騎直轄の隊として発足し、王騎が「飛信隊」と命名 | 百人将 |
| 三百人隊 | 馬陽戦後の論功行賞 | 三百人将 |
| 千人隊 | 山陽編。本戦では臨時、戦後に正式昇格 | 千人将 |
| 三千人隊 | 合従軍編、蕞の防衛後 | 三千人将 |
| 五千人隊 | 著雍攻略戦の功 | 五千人将 |
| 将軍 | 鄴攻略戦後。咸陽での論功行賞で「李信」の姓を賜る | 将軍 |
| 六万規模へ増強 | 韓攻略戦のころ。昌平君の献策による | 将軍 |
注意点が2つある。ひとつは、三千から五千の間に四千人将の段階を置く資料と、置かない資料があること。もうひとつは、兵力の数字が一人歩きしやすいことだ。「飛信隊は8000人」「1万5000人」と書いているページは、どれも古い時点の数字である。時点を書かない兵力の記述は信用しないほうがいい。
なお、信が百人将になったのは蛇甘平原の戦いのあとで、飛信隊の結成は馬陽編だ。この2つはよく混同される。秦国の階級そのものはキングダム階級一覧で整理した。
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結成時からの生え抜き
馬陽編で飛信隊が発足したとき、隊は伍ごとに分かれていた。その伍長たちが、そのまま現在の幹部になっている。
| 名前 | 読み | 結成時の立場 | のちの役職 |
|---|---|---|---|
| 信(李信) | しん/りしん | 隊長 | 将軍 |
| 羌瘣 | きょうかい | 副長 | 将軍。羌瘣軍を率いる |
| 渕 | えん | 副長 | 副長兼五千人将 |
| 崇原 | すうげん | 第五伍長 | 歩兵長兼三千人将 |
| 田有 | でんゆう | 第十四伍長 | 二千人将 |
| 沛浪 | はいろう | 第一伍長 | 二千人将 |
| 竜川 | りゅうせん | 第十六伍長 | 千人将 |
| 田永 | でんえい | 第六伍長 | 千人将 |
| 澤圭 | たくけい | 第十一伍長 | 三百将 |
| 尾平 | びへい | 第十二伍長 | 三百将 |
| 中鉄 | ちゅうてつ | 第十五伍長 | 三百将 |
| 竜有 | りゅうゆう | 第十八伍長 | 五百将 |
| 石 | せき | 第二十伍長 | 百人将兼偵察部隊指揮官 |
ここで気をつけたいのが羌瘣だ。現在は将軍として独立した羌瘣軍を率いており、「飛信隊の副長」とだけ書くのは現状に合わない。副長の職が解けたかどうかは明示されていないため、過去形か両方併記で書くのが正確になる。
渕はもともと壁と信をつなぐ連絡役で、なし崩しに副長になった人物だ。結成時に誰も望んでいなかった役職を、五千人将になった今も続けている。
他部隊から移ってきた幹部
| 名前 | 読み | 出身 | 移ってきた経緯 |
|---|---|---|---|
| 楚水 | そすい | 郭備隊の副長 | 山陽編。郭備が輪虎に討たれ、部下ごと転属 |
| 我呂 | がろ | 麃公軍 | 合従軍戦後、元麃公兵500人とともに配属 |
| 岳雷 | がくらい | 麃公軍 | 同上。のち宜安編で戦死 |
| 満童 | まんどう | 麃公軍 | 我呂のかつての上官。岳雷の後任として加入 |
| 那貴 | なき | 桓騎軍 | 黒羊編で尾平隊と入れ替わりに加入、戦後に正式転属 |
| 河了貂 | かりょうてん | 昌平君のもとで兵法を学ぶ | 山陽編後に軍師として配属 |
| 琳・山多・風 | りん・さんた・ふう | 元・砂鬼一家 | 医療班として加入 |
出身部隊を並べると、法則がはっきりする。郭備は輪虎に暗殺され、麃公は合従軍との戦いで討たれた。楚水も我呂も岳雷も満童も、将を失って行き場をなくした兵である。飛信隊の千人将以上の席は、生え抜きの昇進と、この移籍組で埋まってきた。
河了貂は結成時のメンバーではない。山陽編のあとに軍師として入っている。飛信隊の指揮は信(隊長)・羌瘣と渕(副長)・河了貂(軍師)という、階級とは別の職能で分かれており、そこに歩兵長や偵察部隊指揮官といった役割が重なる構造になっている。
よくある誤りとして、録嗚未と介億を飛信隊員として紹介しているページがある。録嗚未は王騎軍から騰の傘下へ進んだ将で、介億は昌平君の家臣だ。どちらも飛信隊ではない。
戦死した隊員
| 名前 | 読み | 戦い | どう倒れたか |
|---|---|---|---|
| 尾到 | びとう | 馬陽編 | 万極軍の矢を受けながら信を背負って離脱し、その矢傷が元で死亡。尾平の弟 |
| 松左 | しょうさ | 鄴編・朱海平原 | 干斗らの救援に向かい助け出すが致命傷。愛槍を干斗に託して死亡 |
| 去亥 | きょがい | 鄴編・朱海平原 | 李牧の目前まで迫ったところで龐煖に斬られる |
| 岳雷 | がくらい | 宜安編・宜司平野 | 包囲網突破の先頭を我呂と担い、青歌将軍・上和龍に討たれる |
| 那貴 | なき | 宜安編・肥下 | 飛信隊を離れて桓騎のもとへ向かい、雲玄を討つも深手を負って果てる |
松左と去亥は同じ朱海平原で倒れているが、倒れ方はまったく違う。松左は仲間を助けに行って負った傷で、去亥は李牧に迫った末に龐煖の前に出た。ここを取り違えているまとめが多い。龐煖と李牧がどういう相手なのかは趙の三大天一覧にまとめてある。
岳雷を討ったのは上和龍だ。李牧でも龐煖でもない。
そして那貴だ。彼だけは飛信隊員として戦死したのではない。撤退を選んだ飛信隊から自ら離れ、桓騎のもとへ向かった先での死である。「飛信隊の戦死者」として一列に並べると、この差が消えてしまう。それぞれの戦いの流れはキングダム 合戦一覧で時系列に並べた。
2026年9月時点の飛信隊
連載はいま、趙の王都・邯鄲をめぐる戦いの只中にある。攻略は失敗し、飛信隊・羌瘣軍・楽華隊の三軍が李牧軍の包囲で壊滅的な打撃を受けた。秦本国へは一時「三軍消滅」と報告されている。
- 河了貂 — 趙軍に生け捕りにされている
- 渕・沛浪 — 行方が分からなくなったまま、安否は確定していない
- 崇原・竜川・尾平 — 無事が確認されている
渕と沛浪について「戦死した」と書いている記事が出回っているが、作中で確定した描写は確認できない。ここは「安否不明」以外に書きようがない。連載の進行で変わる部分なので、この節は2026年9月時点の週刊連載分の状況として読んでほしい。単行本派にとっては、まだ先の話になる。
「飛信」の「飛」の意味は説明されていない
王騎が名付けた「飛信隊」の「飛」が何を指すのかは、作中で説明されていない。前漢の名将・李広の異名「飛将軍」に由来するという説明をよく見かけるが、これは作者の発言として紹介されているもので、作中の設定として確定してはいない。信の名から一字、そこに「飛」を足した、というところまでが作中で確かめられる範囲だ。
史実の李信がどう記録されているかはキングダム実在武将一覧で扱っている。
ネットでよく見る誤り
| よくある書き方 | 実際 |
|---|---|
| 王騎は三百人隊に飛信隊と名付けた | 命名されたのは特殊百人隊のとき |
| 飛信隊の結成と同時に信が百人将になった | 百人将は蛇甘平原戦後。別の出来事 |
| 録嗚未や介億も飛信隊 | 録嗚未は騰の傘下、介億は昌平君の家臣 |
| 那貴は飛信隊として戦死した | 隊を離れて桓騎のもとへ向かった先での死 |
| 岳雷を討ったのは李牧(龐煖) | 青歌将軍の上和龍 |
| 羌瘣は現在も飛信隊の副長 | 将軍として羌瘣軍を率いている |
| 飛信隊は8000人(1万5000人) | 時点によって変わる。数字だけを単独で出せない |
| 「仁」という隊員がいる | 弓兵・蒼仁の略称が独立したメンバーとして扱われている |
壊れた隊から人を受け取ってきた隊
ここからは読者側の解釈になる。
飛信隊の名簿は、秦軍の損失の記録でもある。郭備が討たれたから楚水が来た。麃公が討たれたから我呂と岳雷が来た。岳雷が討たれたから満童が来た。この隊の成長曲線は、他の部隊の墓標の数と一致している。百人隊が六万になるまでの間に、いくつの隊が消えたかということだ。
だから飛信隊は、信の才能だけで膨らんだ組織ではない。行き場を失った兵が集まる先として選ばれ続けた結果いまの規模になった。将を失った兵が次にどの隊へ行くかは、その隊が何を大事にしているかを知っているからこその選択だろう。
そう考えると、那貴の最期がなぜ心に残るのかも分かる。飛信隊は将を失った兵を受け入れてきた隊で、那貴だけが逆をやった。受け入れられる側ではなく、将のもとへ戻る側を選んだ。彼が飛信隊に来たのも、もとは桓騎の指示による入れ替わりだった。最初から最後まで、那貴の足は桓騎のほうを向いていたことになる。信のもとに残った者たちと、去った一人。名簿を役職順ではなく出自順に並べ直すと、その対比が浮かび上がる。
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記事で気になった場面は、作品そのもので確かめるのがいちばん確実です。
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よくある質問
飛信隊のメンバーで戦死したのは誰ですか?
尾到(馬陽編)、松左と去亥(鄴編・朱海平原)、岳雷(宜安編)の4人が飛信隊として戦死しています。那貴も宜安編で死んでいますが、飛信隊を離れて桓騎のもとへ向かった先での死です。
飛信隊の名前は誰が付けたのですか?
馬陽編で大将軍・王騎が、当時まだ特殊百人隊だった信の隊に名付けました。「飛」の字が何を意味するのかは作中で説明されていません。
河了貂は結成時からのメンバーですか?
違います。昌平君のもとで兵法を学んだのち、山陽編の後に軍師として配属されました。結成時の伍長には入っていません。
2026年9月時点で飛信隊はどうなっていますか?
趙の王都・邯鄲の攻略に失敗し、羌瘣軍・楽華隊とともに壊滅的な打撃を受けています。河了貂は趙軍に捕らえられ、渕と沛浪は安否が分かっていません。崇原・竜川・尾平は無事が確認されています。



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