私たちは本当に主人公になりたいのか|漫画・アニメへの自己投影と感情移入
1.夜神月になりたいですか
ひとつ、正直に答えてほしい。
あなたは、夜神月になりたいだろうか。
たぶん、多くの人は首を横に振る。名前を書くだけで人を殺せるノートを拾い、自分の正義で人を裁き続ける男。友人にも恋人にもしたくない。
それなのに、『DEATH NOTE』を読んでいたあの頃、月が追い詰められる場面でページをめくる手が速くなった人は少なくないはずだ。
碇シンジもそうだ。「いいから乗れよ」と画面に向かって苛立ちながら、最後まで観てしまう。
私たちは、なりたくもない主人公の物語に、なぜこれほど夢中になれるのか。
主人公が勝っても、給料は上がらない
考えてみると、物語に心を動かされるのは奇妙なことだ。
主人公が長い努力の末に夢を叶えても、読者の社会的地位は上がらない。主人公が誰かを救っても、読者が誰かを救ったことにはならない。
それでも私たちは、その時間を「よかった」と感じる。
理由のひとつは、人生が一回しかないからだろう。生まれる国も時代も選べず、人生をやり直すこともできない。
フィクションは、その制約を一時的に外してくれる。忍者にも、魔法使いにも、世界を救う少年にもなれる。善人の葛藤にも、悪人の頭の中にも入っていける。
「自己投影」で全部説明できるのか
この現象は、よく「自己投影」という言葉で説明される。
読者は主人公に自分を重ね、その成功を自分の成功のように味わい、現実で満たされない欲望を物語で満たす――という説明だ。
もっともらしい。だが、冒頭の問いに戻ると穴が見えてくる。
うずまきナルトになら、憧れる人もいるだろう(ナルトが目指した火影の歴代はNARUTO歴代火影一覧)。しかし夜神月に自分を重ねたい人はそう多くない。千年以上を生きるフリーレンの時間感覚は、そもそも誰も持っていない(彼女が旅に出た理由はフリーレンが旅する理由)。
性格も目的も倫理観もバラバラな主人公たちを、私たちは同じように楽しんでいる。
もし物語の魅力が「主人公になりたい」という気持ちだけで成り立っているなら、なりたくない主人公の物語は売れないはずだ。
本章は、この矛盾から出発する。
2.「自分を重ねる」には何種類もある
物語に感動したとき、私たちは「感情移入した」「共感した」「自分を重ねた」と言う。日常会話では、どれもほぼ同じ意味だ。
しかし心理学やメディア研究では、これらは別の現象として扱われることがある。
先に整理しておくと、よく混同される四つの言葉は、おおよそ次のように分けられる。
| 言葉 | 中身 | 例 |
|---|---|---|
| 自己投影 | 自分を主人公に重ねる(日常語) | ナルトに昔の自分を見る |
| 同一化 | 一時的にその人物の視点で出来事を体験する | 月の目で計画を追う |
| 感情移入 | その人物の気持ちを感じ取り、心が動く | 泣く人物を見て胸が痛む |
| 憧れ | その人物のようになりたいと願う | ナルトのように認められたい |
「なりたい」と「その目で見る」は違う
メディア研究者のジョナサン・コーエンは、2001年の論文「Defining Identification」で、登場人物への同一化を、単なる好意や共感と分けて論じた。
同一化とは、読者が一時的に登場人物の視点を引き受け、その人物の感情や目的を通して出来事を経験することだ。
ここが大事なところで、「主人公になりたい」と「主人公の目で世界を見る」は別物になる。
悲劇的な人物のようになりたいとは思わない。それでも、その人が何を恐れ、何を失い、なぜその道を選んだのかを内側から理解しようとすることはある。
泣いている登場人物を見て「かわいそう」と思うこと。その人の立場で「どうすればよかったのか」と考えること。この二つも、近いようで違う。
似ているから惹かれる、違うから惹かれる
2005年、シンシア・ホフナーとマーサ・ブキャナンは、若年成人208人に、好きなテレビドラマの登場人物について尋ねた。
その結果、自分と考え方が似ていると感じる人物ほど、「その人のようになりたい」という願望が強い傾向があった。成功している、尊敬されている、知的であるといった特徴も、条件によっては願望と結びついていた。
つまり惹かれ方には二つの向きがある。
- 自分と似ているから惹かれる
- 自分にないものを持っているから惹かれる
主人公の中に「今の自分」を見ることもあれば、「こうありたい自分」を見ることもある、ということだ。
「似ている」の効き目は、意外と小さい
では、読者と登場人物が似ていることは、どれくらい効くのか。
Huang、Fung、Sunのメタ分析(2023年オンライン公開)は、39研究・50の効果量・延べ11,077人分のデータをまとめて、この問いに答えようとした。メタ分析とは、複数の研究結果を統計的に束ねて、全体の傾向を見る方法だ。
結果は、標準化平均差で g=0.19(95%信頼区間 0.10〜0.28)。統計的には意味があるが、小さい効果である。
なお、これは「似ている人物には19%多く共感する」という意味ではない。g は割合ではなく、効果の大きさを表す指標だ。
もうひとつ面白いのは、性別や年齢のような見た目の共通点より、価値観や性格といった心理的な共通点のほうが効きやすい傾向があったことだ。
似ていれば入り込みやすい。でも、似ていなければ入り込めないわけではない。
少なくとも四つの「重ね方」
ここまでを整理すると、「自己投影」と一言でくくられてきたものは、少なくとも次のように分かれる。
- 似ているから好きになる
- 違うから憧れる
- 考えには同意できないが、苦しみは分かる
- 好きではないが、結末を見届けたい
本書では、日常語としての「自己投影」を入口にしつつ、同一化・感情移入・憧れ・観察を分けて考えていく。全部を一語で済ませると、物語に向かう人間の欲望が平べったくなってしまうからだ。
ただし、ここで紹介した研究の多くは、海外の若年成人や、テレビ・文章の物語を対象にしている。日本の漫画・アニメの読者にそのまま当てはまるかは、まだ確かめられていない。本章の数字は「傾向を考えるための足場」として読んでほしい。
それでも、ひとつの疑問ははっきりした。
忍者でもなく、エルフでもなく、殺人ノートも持っていない私たちが、なぜ彼らの物語に入り込めるのか。
ここから先は、四人の主人公を順に見ていく。
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参考文献・研究資料
- Cohen, J. (2001). Defining Identification: A Theoretical Look at the Identification of Audiences With Media Characters. Mass Communication & Society, 4(3), 245–264. DOI: 10.1207/S15327825MCS0403_01
- Hoffner, C., & Buchanan, M. (2005). Young Adults’ Wishful Identification With Television Characters: The Role of Perceived Similarity and Character Attributes. Media Psychology, 7(4), 325–351. DOI: 10.1207/S1532785XMEP0704_2
- Huang, K. Y., Fung, H. H., & Sun, P. (2024). The Effect of Audience–Character Similarity on Identification With Narrative Characters: A Meta-Analysis. Current Psychology, 43, 7026–7043. DOI: 10.1007/s12144-023-04842-4
- Tal-Or, N., & Cohen, J. (2010). Understanding Audience Involvement: Conceptualizing and Manipulating Identification and Transportation. Poetics, 38(4), 402–418. DOI: 10.1016/j.poetic.2010.05.004
- Wimmer, L. F., et al. (2024). Cognitive Effects and Correlates of Reading Fiction: Two Preregistered Multilevel Meta-Analyses. Journal of Experimental Psychology: General, 153(6), 1464–1488. DOI: 10.1037/xge0001583
- Green, M. C., & Brock, T. C. (2000). The Role of Transportation in the Persuasiveness of Public Narratives. Journal of Personality and Social Psychology, 79(5), 701–721. DOI: 10.1037/0022-3514.79.5.701
分析対象作品
- 岸本斉史『NARUTO -ナルト-』集英社、1999〜2014年。
- 『新世紀エヴァンゲリオン』テレビ東京系、1995〜1996年。
- 大場つぐみ・小畑健『DEATH NOTE』集英社、2003〜2006年。
- 山田鐘人・アベツカサ『葬送のフリーレン』小学館、2020年〜。
※本章の作品解釈は著者による評論上の仮説であり、読者への独自アンケートの結果ではない。研究の数値はそれぞれの研究条件のもとで得られたもので、漫画・アニメのすべての読者にそのまま当てはまるものではない。
