キングダム史実 秦の貨幣統一|半両銭・刀銭・布銭は何が違う?

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この記事の結論

  • 秦は統一以前からあった半両を広い領土の共通基準とし、黄金も貨幣に位置づけた
  • 金布律には千銭ごとの封印、支出時の確認、通用銭の選別禁止など実務の規則がある
  • 半両という銘文と実際の重さは一律ではなく、漢では四銖でも半両の名を用いた

秦の統一で気になるものは?

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秦の貨幣統一は、六国で使われていた異なる銭を退け、秦の半両銭を広い地域へ通用させた政策です。半両銭そのものは統一以前の秦ですでに使われており、始皇帝が紀元前221年に初めて丸い銭を発明したわけではありません。

『キングダム』の史実背景として、半両銭・刀銭・布銭の見た目、統一された基準、文字と実際の重さの違いを整理します。史書と所蔵機関の資料を扱い、漫画の将来の描写を確定するものではありません。

統一前の銭を形から見分ける

戦国時代の貨幣には、円形だけでなく、刃物や農具を思わせる形の銭がありました。中国国家博物館の貨幣展も、刀布幣・圜銭から方孔円銭へという変化を、実物を使って展示しています。

種類 外見と名称の特徴
布銭・布幣 農具の形を残し、柄や二つに分かれた足を持つ
刀銭・刀幣 刃と柄を持つ刀のような形
圜銭 円い外形を持つ銭の総称。半両以外も含む
半両銭 円い外形、中央の方形の穴、左右の「半」「両」。銘文が重量名を表す

国の境目と貨幣の形は完全には一致しない

一般に布銭は三晋の地域、刀銭は斉・燕など、円形の銭は秦などと結びつけて紹介されます。しかし一国につき一種類という全国共通の割り当てではありません。時期や地域によって違いがあり、同じ大分類にも多くの形や文字があります。

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半両銭は統一以前の秦にもあった

中国国家博物館の解説は、半両銭が戦国時代の秦で鋳造されていたと説明します。始鋳の細かな年代には研究上の幅があるため、ここでは最初の一枚が作られた年を決めるより、六国統一より前から秦にあった銭だという点を押さえます。

紀元前221年の変化は、秦だけの通貨を新しく作ったことではなく、統一国家の貨幣として広く用いる基準をそろえたことです。秦が征服した地域では、これまで使ってきた銭と別の制度へ従う必要が生まれました。

同じ物を買う場合でも、地域ごとに銭の形や単位が違えば、価値を確かめて交換しなければなりません。国家が共通の銭と単位を示すことは、商人の取引だけでなく、国が金銭を集め、支払い、記録する際の共通基盤にもなります。

これは度量衡の統一とも関わります。半両という文字が重さを表すなら、その両を何によって量るかがそろわなければ、文字だけ統一しても基準は安定しません。銭の形・文字・重量と、量る制度を組み合わせて考える必要があります。

六国の併合そのものの順番は、秦が六国を滅ぼした順番で確認できます。貨幣統一は、その領土を取った後、人々の交換や国家の会計を同じ基準へつなごうとする政策でした。

秦は何を貨幣にし、何を外したか

銅の半両だけでなく、黄金も位置づけた

『漢書』食貨志は、秦が天下を併合して貨幣を二等とし、黄金を上幣、半両と記す銅銭を下幣にしたと伝えます。

上幣の黄金は重量で呼び、下幣の銅銭は「半両」という文字を鋳込む、という違いがあります。統一政策は、認める貨幣の種類と、それを扱う基準の両方に関わりました。

同じ記事は、珠玉・亀甲・貝・銀・錫などを器物や装飾、財宝とし、貨幣にはしなかったと説明します。物そのものの価値を否定するのではなく、何を国の貨幣として認めるかを整理する政策として読めます。

円形と方形の穴、二文字の銘文

円形の半両銭の表と裏。表は四角い穴の右に半、左に両の文字があり、裏には銘文がない
半両銭の表(左)と裏(右)。方形の穴と、表の右側の「半」・左側の「両」を確認できます。販売者が秦の銭として紹介する写真で、本文の国博所蔵11.5gの個体とは別です。
出典:Scott Semans World Coins (CoinCoin.com)/Wikimedia Commons(CC BY 3.0、画像の改変なし)

円形方孔という形式は、後の五銖銭や通宝銭にも受け継がれます。銘文が変わることで、基本の形を引き継ぎながら別の制度の銭が作られたことを、実物から確認できます。

名前の重さと出土品の重さは一致するか

半両は重量を表すが、一枚一枚は同じではない

「半両」は一両の半分という重量名です。一両を二十四銖とする関係では十二銖に当たります。『漢書』は銭の重さを文字に対応させたと伝えますが、出土品すべてが同じ重さという意味ではありません。

中国国家博物館が秦代の半両銭として紹介する一枚は、直径3.6センチ、重さ11.5グラムという実測値です。同館の解説も、実際に行用された半両には、文字が示す基準に達しないものが多くなったと述べています。

鋳型を見ると、銭の作り方も分かる

これらの銭は、溶かした金属を型へ流して作る鋳造貨幣です。日本銀行貨幣博物館の図録は、布幣・刀幣・軽量の半両銭を、それぞれ鋳型と並べて紹介しています。完成した銭の形と、製作に使う型のくぼみを対応させられます。

同館は、中国の貨幣の鋳型に石・土・銅などが使われ、上部に設けた湯口から金属を流し込んだと説明します。貨幣を安定して供給するためには、金属の原料だけでなく、型の製作と鋳造の工程も必要でした。

布幣でも、空首布は農具の柄を受ける部分の空洞を残し、平首布は柄が平らです。図録は空首布を周や晋・宋など、平首布を韓・魏・楚などの例として区別します。形の変化と製作地の違いを、単に「布銭」の一語で消さずに見られます。

また同館には、前漢の軽量な半両として、重さ一グラムに満たない楡莢銭の紹介もあります。小さく薄い外形を植物の楡のさやにたとえた名称で、秦の大きな半両とは見た目の印象も違います。

共通の銭を、官府と市場でどう扱ったか

金布律は、受け取った銭の保管と支出を定めた

貨幣の統一は形の統一だけでは実行できません。銭を受け取る役人や商人が、同じ規則で扱う必要があります。その具体例が、睡虎地秦簡の『金布律』に残ります。これは秦の貨幣行政を知る条文で、紀元前221年の統一時の交換手順を逐一記したものではありません。

官府が受け取る銭は、千銭を一つの容器にまとめ、丞・令の印で封じます。千銭に満たなくても封印し、支出する際には封を丞・令へ示してから開けて使います。収入を集める、保管する、支出のため開封するという段階に、役人の確認が組み込まれていました。

同じ条文は、銭の良いものと悪いものを混ぜて入れると定め、民の市場での取引にも、美悪を混ぜ、区別しないよう命じます。商店と官吏に対しては、通用する銭や布を選り好みしないこと、違反を見逃す側にも責任があることを記します。

ここで銭と並ぶ「布」は、農具形の布銭ではなく織物です。同律は長さ八尺、幅二尺五寸という布の規格を定め、寸法が基準に合わないものは通用しないとします。銭だけでなく、布についても受け渡しの基準が法に置かれていました。

実物に重さや出来の違いがあっても、受取人が好きな銭だけを選ぶなら、同じ額としての通用は安定しません。この規則は、国が認めた貨幣を取引の場でも受け取らせるためのものと読めます。対象は、当時通用する銭である「行銭」です。

商品の値段と、売上を入れる器まで規則がある

『金布律』には、売買する品に価格を示し、一銭にもならない小物は例外とする規則もあります。店頭で何をいくらと扱うかを、貨幣単位で示す場面です。銭の共通化は、商品の値段を表示し、金銭を受け渡す実務と結びつきます。

さらに『関市』の条文は、作務や官府の販売で受け取った銭を、ただちに銭を入れる器へ納め、買った人に入金を見せるよう定めています。売上を受け取った人の手元に曖昧に残さず、相手にも確認できる形で管理する手順です。

旧六国の銭は、いつどう交換されたのか

所蔵機関の解説と史書は、秦の半両を統一国家の基準へ広げたことを伝えます。一方、ここで参照した史書には、全住民の旧銭を何日までに、どんな比率で交換したかという全国共通の手順は示されていません。

したがって、統一の方針が定まった時点と、各地域で貨幣が置き換わる実態は分けておく必要があります。出土地や年代の分かる銭の分布、地域の行政文書などが、実際の広がりを確かめる資料になります。制度の説明だけから、すべての店で同じ日に旧銭が消えたとまでは言えません。

漢も半両を使ったが同じ規格ではない

『史記』平準書は、漢が始まると秦の銭を重くて使いにくいとして、民に銭を鋳させたと伝えます。その後、文帝の時代には四銖の銭を鋳たものの、文字は「半両」のままだったと記します。

十二銖に当たる名前であっても、実際の制度上の重量が四銖となる。ここでは半両という呼称と、重量がすでに一致しません。秦の銭と漢の銭の写真に同じ二文字があっても、同じ規格の品としてまとめられない理由です。

漢代にはさらに鋳銭の権限や銭の規格が変化し、武帝の時代に五銖銭が導入されます。中国国家博物館の展示も、半両の制度と五銖の改革を別の段階として扱っています。

漢の文帝期について、『漢書』が引用する賈誼の意見には、私鋳の利益を求める人が材料を混ぜる問題や、郡県ごとに軽い銭・重い銭の扱いが違うという訴えもあります。銘文を共通にするだけでは解決しない、品質・流通・鋳造権限の課題が続きました。

参考・出典

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よくある質問

始皇帝が半両銭を初めて作った?

半両銭は統一以前の秦で鋳造されていました。始皇帝の統一後、広い地域の貨幣として用いられます。

半両銭はすべて同じ重さ?

同じではありません。流通する個体のばらつきがあり、漢には四銖でも半両と記す銭が作られました。

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