キングダム 鄭国渠とは?韓の弱体化策が秦を豊かにした理由
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この記事の結論
- 韓は秦を工事で消耗させようと鄭国を送り、水路建設を勧めた
- 秦は間者の発覚後も完成による利益を認め、工事を続けさせた
- 濁水を用いた灌漑と土地改良が関中の生産を支えたと史記は記す
鄭国渠で知りたかったのは?
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鄭国渠は、涇水の水を引いて秦の関中の土地を潤した灌漑水路だ。『史記』は、韓が秦を大工事で消耗させようと鄭国を送り込んだのに、完成後は秦を富強にした、と記している。
結果が逆転したのは、間者であることが分かった後、秦が工事の利益を認めて完成させたからだ。しかも、その利益は単に川の水を遠くへ届けることだけではない。泥を含む水によって、塩分を含んだ土地を農地に改良する働きがあった。
『史記』巻二十九「河渠書」は、間者の計画が秦の利益へ転じた過程を短い一段落に収めている。政治面では「李斯列伝」、水路の働きは現地の灌漑機関と農業史研究の説明を合わせると、逆転を可能にした条件が具体的になる。
韓が狙ったのは工事による秦の消耗
『史記』の書き出しは、韓が秦の大事業好きに目をつけ、秦を疲れさせて東方へ攻め出せなくしようとした、というものだ。そのために送り込まれたのが、水工、すなわち水利の技術者である鄭国だった。
鄭国は、涇水から水路を掘り、北山に沿って東へ進み、洛水へ注ぐ案を秦に勧めた。長さは三百余里、用途は田畑の灌漑である。韓は役に立たない穴を掘らせると言ったのではなく、秦が着手したくなる水利事業を利用した。
この点が、韓の策と完成後の結果を結びつける。建設中は人手や資力を必要とするため、秦の対外進出を遅らせたい韓の狙いにかなう。一方で完成すれば、秦の土地で農業の利益を生む設備が残る。同じ工事に、建設中の負担と完成後の便益が含まれていた。
ただし、河渠書は投入人数、建設費、遠征が何年延期されたかをこの段落に記していない。韓の狙いが説明されていることから、秦軍の出兵が実際に全面停止した、とまでは言えない。
秦の歴史を描く『キングダム』もあわせて
本記事は史料の記述を扱っています。漫画の展開とは区別してお読みください。
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間者の発覚後も工事を続けた理由
工事の途中、鄭国の正体が発覚する。『史記』によれば、秦は鄭国を殺そうとした。鄭国は、最初は間者だったと認めたうえで、水路が完成すれば秦の利益にもなると訴える。
秦はその説明を認め、鄭国に工事を完成させた。間者ではなかったと疑いが晴れたのではない。韓の意図を認めたうえで、事業そのものには秦に利益があると判断した、という順序だ。
鄭国一人への疑いが、外国人全体の追放へ広がる
『史記』巻八十七「李斯列伝」は、同じ事件を秦の人材政策から記す。韓人の鄭国が灌漑水路を造るため秦へ入り、間者だと発覚した後、秦の宗室や大臣たちは、諸侯出身の人々は元の主君のために働く間者なのだとして、一切の客を追放するよう求めた。
追放対象には、楚出身で秦に仕えていた李斯も含まれた。李斯は、秦穆公が由余らを、孝公が商鞅を、恵王が張儀を、昭王が范雎を用いて成果を挙げたと訴える。鄭国への嫌疑を理由に、秦の外から来た人すべてを退ければ、これまで秦を強めた人材の道も閉ざしてしまう、という反論だった。
李斯はさらに、外国産の宝物や音楽は気に入って受け入れるのに、人については能力や正邪を問わず秦出身でなければ去れとする矛盾を挙げる。結末として列伝は、秦王が逐客令を除き、李斯を復職させたと記す。
水路の続きを任せる判断と、客全員の追放を撤回する判断は、別々の論点である。前者は間者だった鄭国自身の事業にも実益があるか、後者は一人の事件を外国人全体へ広げてよいかを問う。外来者の登用全体は秦が外来者を登用した理由でも扱っている。
涇水から洛水へ、濁水で土地を改良する
河川の水を広い土地へ届ける経路
河渠書が記すのは、涇水を中山の西の瓠口から引き、北山に沿って東へ流し、洛水に注ぐ三百余里の水路である。涇水と洛水は、水路の水源と行き先にあたる。
現在の陝西省涇恵渠灌漑中心による説明も、この引水経路を示している。同中心は、北側の比較的高い場所に沿って水路を通したことや、途中で交差する河川の水を取り込んだ技術にも触れる。これは、古代の短い記録を、遺構や後世の文献と合わせて説明する資料である。
中国科学院の農業史資料サイトに掲載された李令福の研究では、平原が西北に高く東南に低いため、北側の高い線に幹線を置くことが、南の広い土地へ自然に水を流す条件になったと説明する。低地の真ん中を最短距離で通ればよい、という設計ではない。
また、東西に進む水路は、北の山地から南東へ流れる自然河川と交差する。同研究は『水経注』や後世の調査をもとに、沿道の川に堰などを設け、河水を取り込んで補給しながら、涇水から洛水まで水路を連ねたと読む。これは河渠書の短い記述そのものに工法が詳記されているのではなく、地形と別の文献から経路を復元した説明である。
秦の王都に水を送るだけの水道でも、船の通航だけを目的とする運河でもない。河渠書がこの水路の目的として挙げるのは「溉田」、田を灌漑することである。
泥を含む水が塩性の土地を変えた
完成後の効果として河渠書は、「填閼」の水を用いて「沢鹵」の地を灌漑したと記す。これは、泥を含む水を、塩分を含む低湿な土地へ導いたという説明になる。
中国科学院の農業史資料サイトに掲載された研究は、この事業を、既存の畑へ水を足すだけの灌漑ではなく、濁水を使って塩性の低地を改良する事業と読む。水とともに運ばれる土砂が土地に堆積し、塩分を洗い流すことで、農地を広げる働きを持つという解釈である。
この研究が対象にするのは、水路の南側に広がっていた沼沢や塩性の低地である。既に豊かな畑へ不足分の水を配るだけなら、給水の効果を見ればよい。しかし低湿な塩性地では、耕せる地面そのものを増やす必要がある。研究は、濁水の土砂を堆積させて地面を高めることと、水で塩分を洗い流すことを、土地改良の働きとして挙げる。
ここで使う「土砂」は、どんな泥でも無制限に入れれば有効だという意味ではない。水路へ沈めず、目的の土地まで水とともに運ぶことが必要になる。そのため、後世には同じ濁りが水路の詰まりという問題にもつながった。
つまり、川から遠い場所にも水が届くようになったことと、耕作に適さなかった土地の性質を変えたことが結びついている。「工事が大きかったから秦が豊かになった」のではなく、工事によって生産に使える土地が増えたことが、利益の中身だった。
土砂が土地を育てる一方、水路の維持も必要だった
陝西省涇恵渠灌漑中心は、鄭国渠が長く使われた後、水路の勾配の緩さと濁水によって堆積が進み、交差する川を取り込む構造や河床の低下も安全性・取水へ影響したと説明している。完成時の効果が、そのまま手入れなしに続いたわけではない。
同中心が紹介する漢代の白渠は、鄭国渠と同じ名前の設備ではない。取水と水路の経路を改め、鄭国渠より規模を縮めた後継の事業として説明される。さらに六輔渠について、李令福の研究は、低湿地を造成する性格から、周辺の高い既存農地へ水を配る性格への変化を論じる。
河渠書には、鄭国渠の後に漢代の渭水を引く漕運・灌漑事業も出てくる。その建設人数や三年で通じたという記述を、前の鄭国渠の工期や労働者数として読むことはできない。同じ関中の水利でも、時代、取水する川、目的が違う。
関中の富強を支えた効果と、数字の読み方
『史記』は、灌漑された土地を四万余頃、収穫を一畝につき一鐘とし、関中が沃野となって凶年がなくなり、秦が富強となって諸侯を併合した、と続ける。鄭国の名を取って鄭国渠と呼んだことも、同じ段落に記されている。
ただし、「頃」「畝」「鐘」は古代の面積・容量の単位である。これを現代のヘクタールや重量に置き換えるには、採用する単位の大きさを別に検討しなければならない。コトバンクの複数の辞典項目には換算を伴う説明もあるが、ここでは史料が記す数値のまま示す。
また、「凶年なし」という記述を、現代の統計で毎年の収穫が検証された数字と同じようには扱えない。河渠書が農業の発展と秦の富強を強く結びつけて評価した表現として読むのが適切だ。
秦の富強を支えた事業ではあるが、六国征服を鄭国渠だけの成果とする記述ではない。
参考・出典
本文の事実関係は以下の公式情報・資料で確認しています。
読み終えたら『キングダム』をもう一度
秦の歴史を描く『キングダム』もあわせて。漫画の描写と本記事の史料上の記述は区別して読んでください。
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よくある質問
鄭国渠は何のための水路?
涇水から水を引き、田畑を灌漑する水路です。泥を含む水による塩性地の改良にも役立ったと説明されます。
間者だと分かった鄭国は処刑された?
河渠書では、秦は殺そうとしますが、完成すれば秦にも利益があるという鄭国の説明を認め、工事を続けさせます。
